【ゲーム紹介?】ティルトゥム(Tiletum / Simone Luciani, Daniele Tascini / Board&Dice)

これは、ルチアーニ&タッシーニからドイツゲームへのラブレターだ。

 イタリアを代表するデザイナーという枠に収まらず、今やユーロゲームを代表するデザイナーとなったと言っても過言ではないシモーネ・ルチアーニとダニエレ・タッシーニのコンビによる新作が登場です。コンビ作としては「マルコポーロ 大いなる帰還」から三年ぶりの作品となります。

 近年、それぞれが単独、もしくは他のデザイナーと組んで発表した作品では、「挑戦的」、「意欲的」といった言葉が相応しいようなものが多かったように思うのですが、今回ご紹介する「ティルトゥム」は、驚くほど優等生的な仕上がり、出版社はBoard&Diceなれど、「ハンス・イム・グリュックの新作」と言ってもほとんどの人が疑わないであろう、そんな作りになっているのです。

 そして、冒頭、見出しに書いた言葉に繋がります。
 そう、この「ティルトゥム」は、「ルチアーニとタッシーニからドイツゲームへのラブレター」ではないかと思うのです。

 なお、この記事は、筆者であるテンデイズゲームズ代表であるタナカマが、ボードゲームへの鬱陶しいほどへの想いをもとに、推測や願望を多分に含んで執筆しています。
 「ティルトゥム」というゲーム、ルチアーニとタッシーニという二人のデザイナーの立ち位置に対して、あくまで独自の視点での解釈です。
 これもまた、ボードゲームに関する一つのエンターテインメントだと思っていただけると幸いです。

王道に王道で応える―そして、アクションポイント制への二人ならではアプローチ

 「ティルトゥム」は、初期ルネサンス期の裕福な商人となり、ヨーロッパ各地を回りながら、商館や大聖堂を建て、契約を履行し、貴族を邸宅へと住まわせ、名声を得ていくことをテーマとしたゲームです。
 こういったテーマも、まさに「ドイツゲーム的」と言えるでしょう。

 しかし、テーマだけを見て「ドイツゲームへのラブレター」と言ってしまうのは、いささか大げさです。
 やはり、どのようなシステム、メカニクスが採用され、どのように組み込まれているのかと言った点こそが重要です。
 その点でも「ティルトゥム」は、非常に王道的なアプローチが見られます。
 まず、メインとなる部分を見ていきましょう。メインとなるのは、アクション選択とリソース管理です。
 手番ごとに6つのアクションから一つを実行するのですが、6つのアクションのうち一つは他の5つのアクションから任意のアクションを実行する「ジョーカー」、一つは「国王トラック」と呼ばれるトラックで駒を進める極めてシンプルなパラメーター上げアクションであり、「何かしら大きく手を進める」ためにもともと用意されているアクションは4つです。もちろん、アクション選択後に待つ「どのように駒を進めるか」、「どのタイルを取るか」と言った選択肢まで含めると、プレイヤーに用意された選択肢としては膨大なわけですが、ベースとなるアクション自体の選択肢が4つというのは、とても少なく、シンプルな印象を受けます。このシンプルさにも、非常に「ドイツゲーム的」なものを感じるのです。
 
 そして、やはりこの二人ならではの部分も感じたいところ。
 アクション選択の流れに、十二分にそれを感じることができます。
 「ティルトゥム」では、各ラウンドの開始時に袋からダイスを引いて振り、それが各アクションに割り当てられることになります。
 そして、それぞれのアクションを選択する際には、このダイスを選び取り、同時にリソースも受取るのですが、ダイスの目の数がそのまま受け取れるリソースの数(ダイスには色もあり、色は受け取れるリソースの種類になります)、「7」からダイスの目をマイナスした数が選択したアクションを実行するために受け取れるアクションポイントの数になるのです。
 例えば、「建築士」に「2」の目のダイスが割り当てられていたとします。このダイスを選び取ったなら、受け取れるリソースは「2個」、建築のアクションに使うことのできるアクションポイントは「5(7-2)」ということになるわけです。
 極めてシンプルなメカニクスではありますが、それだけに、これがジレンマを生み出すことにうまく作用しているであろうことは容易く想像できるのではないでしょうか。
 この二人は、「ダイス」を新しい形で意欲的に自作に採用し、中でもダイスを選び取ることで手を進める「ダイスピック」を多く採用しているように思います。そう、「ダイスピック」は、彼らにとっての「王道」とも言えるメカニクスなのです。
 シンプルで悩ましく、そして十分に戦略的なドイツゲームの王道的な面白さを、彼らにとっての王道的なメカニクスで引き出す―王道に王道で応えた真っ向勝負が「ティルトゥム」のベースになっているように思えてなりません。


 加えて、私はダイスを選び取った後、受け取ったポイントを使ってアクションを実行していく「アクションポイント制」を採用しているところを、この項で強く挙げたいと思っています。
 ドイツゲーム界の「レジェンド黄金コンビ」と言えば、なんと言っても、ヴォルフガング・クラマー&ミヒャエル・キースリングの二人でしょう。
 クラマー&キースリングの代表作の中に、「怖い顔三部作」と呼ばれるシリーズがあります。「ティカル」、「ジャワ」、「メキシカ」です。この三作で、メインのシステムとして採用されているのが「アクションポイント制」です。
 「一手番に一アクションを実行」するのではなく、「手番ごとに限りあるアクションポイントをどのように振り分けて効率よくアクションを実行」していくか―システマチックであると同時に、自由度の高いアクション選択が楽しめる、優れたシステムであることは間違いないのですが、一方でその自由度の高さから一手番当たりにかかる時間が長くなりがちという、あまりに大きな弱点があるのです。
 それ故、「アクションポイント制」は、優れたシステムである以上に、ネガティブなシステムと捉えられることが多く、最近では、アクションポイント制を採用したゲームは明らかに少ないでしょう。
 その中にあって、この「ティルトゥム」では、レジェンド黄金コンビがファンに浸透させた「アクションポイント制」に、現代の黄金コンビが挑んでいるように思うのです。
 そして、その現代の黄金コンビ、ルチアーニ&タッシーニが出した回答が「アクションを選択し、選択したアクションですべてのアクションポイントを使用する」というものです。
 クラマー&キースリングの作品では、まず、アクションポイントがあり、そのアクションポイントをどのように用いるのか、ほぼ制限無くアクションを組み合わせることが可能です。例えば、「ティカル」においては、駒の移動、遺跡の発掘、遺跡の確保、キャンプの設営等、ゲームの中で方向性の違う、ゲームへの作用の仕方としてカテゴリーの違うアクションを選択、実行することが可能です。
 一方、「ティルトゥム」では、あるアクションを選び、その選んだアクションに含まれた選択肢の中でアクションポイントを用いてアクションを組み合わせることになります。例えば、「建築士」のアクションを選んだならば、「建築士」のアクションの中に用意された選択肢である「建築士駒の移動」や「柱の建築」といったアクションを組み合わせることはできますが、「商人駒の移動」や「商館の建設」、「人物タイルの獲得」、「契約タイルの獲得」といった他のアクションに用意された選択肢を組み合わせることはできないわけです。
 アクションポイント制を採用することで基本となるアクションの種類を抑えつつもある程度の選択の自由度を用意し、手番中のアクションポイントを受け取るタイミングをアクション選択後とすることで待ち時間の軽減を図ることに成功しているのは、「ティルトゥム」の注目すべき点であることは間違いありません。
 さらには、先に挙げたように、アクション選択にダイスピックが絡んでくるわけですから、十分すぎるほどにルチアーニ&タッシーニの持ち味も感じることも出来るのです。
 アクションポイント制という扱いにくいシステムを採用しつつ、そこに自らが得意とするメカニクスを加え、かつ、これまで弱点とされていた箇所への「回答」も盛り込む―彼らのゲーム愛を感じ取るには十分です。

「パラメーター上げ」を切り、採用したのは「セットコレクション」

 ルチアーニ&タッシーニの得意とするメカニクスに「パラメーター上げ」があるのは、多くの方がご存じでしょう。
 用意されたパラメーターを上げる、トラックを進め、コツコツと積み重ねることで、さまざまなボーナスを得たり、他プレイヤーとその進み具合を競ったりを繰り広げる「パラメーター上げ」は、実際、彼らの大ヒット作「ツォルキン」でも「パラメータ上げ」は重要な要素になっています。
 しかし、この「ティルトゥム」では、ごく一部にこそ「パラメーター上げ」の要素は見られるものの、その比重はあまりに小さく「パラメーター上げの要素があります」というのには抵抗を覚えるほどです。
 とはいえ、「積み重ね」の要素がなくなったわけではありません。代わる形で採用されているのが「セットコレクション」です。
 「ティルトゥム」で、各プレイヤーは、個人ボードを持っています。この個人ボードには、建物とその建物に含まれた部屋が描かれています。この部屋に、人物タイルを獲得し、より多く配置していくことが積み重ねの要素になっています。
 ここで重要になってくるのが、人物タイルの種類です。人物タイルには種類があり、一つの建物には同じ種類の人物タイルしか置くことができないのです。
 それぞれの建物に用意された部屋は1~3、建物に用意された部屋を人物タイルで埋め、建物を彩る紋章タイルを置くことで、建物は完成となり、プレイヤーは基本アクションの底上げという大きなボーナスを得ることになります。この基本アクションの底上げは、人物タイルの種類に対応していることもあり、どの種類の人物タイルを狙うべきか、獲得していくべきか―まさに、どんな「人物タイルのセット」を狙うべきかということが重要なポイントとなるのです。
 「ある特定の種類を狙って獲得し、積み重ねる」という点でだけ見れば、「パラメーター上げ」と「セットコレクション」に大きな差があるようには思えないかもしれません。
 しかし、「ティルトゥム」では、個人ボードに用意されたタイルのストック場所の制限がある点や、「部屋に人物タイルを置くためには人物アクションの実行とアクションポイントの消費が必要となる点が、単なる「積み重ね」ではなく、明らかにプレイヤーに意図を持った選択を迫るものになっています。また、10ポイント分や15ポイント分といったトラックが容易されていたことが多かったパラメーター上げにおける1ポイントよりも、タイル1枚あたりの価値が上がっており、セットを完成させた時に得られるボーナスのイメージも掴みやすくすることに繋がっているのです。こういったことをすべて踏まえた上で、「セットコレクション」という言葉が適切だと思うのです。
 そして、私はさらに「セットコレクション」というメカニクスを「単に採用した」ということ以上のものを感じざるを得ません。
 それは、ルチアーニとタッシーニの二人が「パラメーター上げ」というメカニクスを浸透させた中心人物であるからです。そんな二人が、「ティルトゥム」では、「セットコレクション」を採用したということに、とても強い意志と彼らのドイツゲーム観のようなものを感じるのです。

ルチアーニは「マハラジャ」のリメイクを行い、そして「ティルトゥム」を作った

 2021年、クラマー&キースリングのよる「マハラジャ」のリメイクがクラニオクリエーションズから発売されました。
 このリメイクは、単なる再発に留まらず、ルチアーニを中心としたクラニオクリエーションズのリメイクチームが手を加えたリメイク版なのです。
 「ティルトゥム」には、ルチアーニが「マハラジャ」のリメイクに関わったことの影響が見られると考えるのは、私の考えすぎでしょうか。

 中でもその影響が色濃く出ているのは、見本市フェイズと名付けられた決算フェイズの仕組みでしょう。
 各ラウンドの見本市フェイズでは、さまざまな条件をもとに得点計算が行われるのですが、その得点獲得の権利を得るためには、まず、指定された都市に自分の商人駒が置かれているか、商館を建てている必要があります。
 そして、どの都市がどの順番で指定されることになるのか、それは開始前の準備の時点で明らかにされるため、プレイヤーは、その場所、タイミングをもとに商人駒を動かし、商館を建てることになるのです。

 「各都市での得点獲得はマジョリティ争いの結果である」ことや、「得点計算の行われる都市が変わることがある」といった点は、「マハラジャ」とは異なりますが、ボード上の都市を巡り、得点計算に向け、その場所とタイミングを踏まえて戦略を練るという、その方向性は非常に近いものがあります。

 これは私見ですが、2004年に発売された旧版の「マハラジャ」は、クラマーが自分の代表作である「エル・グランデ」、そして「怖い顔三部作」を、どれだけそぎ落とし、ソリッドに出来るかを試みた作品であると考えています。
 その試みが形となったものが、得点計算のもととなるマジョリティ争いにおける明らかに増した駒1個の重みであり、特殊なホイールを用いての「2アクション」を自由に組み合わせられるアクション選択システムだと思うのです。
 しかし、ソリッドになったが故に、得点スケールは小さくタイトになり、(狭義の)アブストラクト感が前面に出てしまい、ダイナミックな展開や得点獲得の気持ちよさは薄まり、ややマニアックな作品に
 ルチアーニのリメイクでも、これらの点を解消するアプローチが見られますが、あくまでリメイクであり、また、これらの点は「マハラジャ」の個性的な部分、魅力でもあるため、それほど大胆なアプローチにはなっていません。
 「マハラジャ」は「マハラジャ」、あくまでソリッドなゲームとして、ゲームファンの手元に届けられたのです。
 その「マハラジャ」が、そぎ落とされる方向で作られたのではなく、もし、いかにもドイツゲームといった得点スケールやゲームから感じる気持ちよさを中心に据えて作られたのだったらどういうゲームになったであろうか―そんなことに思いを巡らせる根拠になるだけの説得力を「ティルトゥム」は持っているのです。

 果たしてこの受け取り方は、私の独りよがりのものなのか。
 もし、興味を持たれた方がいるのなら、ぜひ、「マハラジャ」と遊び比べて、どのように感じたかを聞かせていただけると、嬉しいです。

「モダンドイツゲーム」の時代が来るのか

 すでに名前の挙っている「ティカル」で1999年の、そして「トーレス」で2000年の、クラマー&キースリングが二年連続でドイツ年間ゲーム大賞を受賞した後、2001年に「カルカソンヌ」が大賞を受賞し、以降、ドイツ年間ゲーム大賞は、よりファミリー向けにフォーカスしたアワードに感じられるようになりました。
 しかし、ドイツゲームが世界的な人気を獲得し、ユーロゲームという呼称が広まる中で、コアユーザーの数も増え、より本格的で複雑なシステムを採用し、長大なゲームも生まれるようになりました。
 また、クラウドファンディングの盛り上がりもあり、見た目からして圧倒されるようなボリュームのゲームも増えてきました。
 そういったゲームももちろん好きではありますが、心のどこかで「これぞドイツゲーム」というようなものを遊びたい気持ちがあり続けていたのは事実です。
 そんな中で発表された「ティルトゥム」は、私の気持ちを震わせるに十分な魅力をもったものでした。
 そして、そんな「ティルトゥム」が、(他のそういった類いのゲームと比べるとそれほどでないとはいえ)複雑でコアユーザーに向けた作品を多く発表してきたルチアーニとタッシーニの二人から発表されたのは、とても大きな意味があるように思えます。
 奇しくも、同じくイタリアのデザイナー集団「アッキトッカ」のメンバーであるギグリが、他のデザイナーと組んだ作品とはいえ、ほどよいボリュームもあって、極めてドイツファミリーゲーム然とした「ファーストラット」を2021年に発表しており、まだ大きな潮流とは言えませんが、単なる偶然ではないと思えてなりません。

 私にとって「ティルトゥム」は、ルチアーニ&タッシーニによるドイツゲームへの愛のこもったアプローチ―ラブレターのように思え、これからの新たなドイツゲームシーン―モダンドイツゲーム―の幕開けを期待させるに十分な力を持ったタイトルに思えるのです。
 今回、単なる紹介に留まらず思いの丈をぶち込んだこの記事は、言ってしまえば「オールドゲーマーの戯れ言」かもしれませんが、この記事を読んで少しでも気になったのであれば、ぜひ、プレイしてみてください。

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